私はこれまで様々な療育現場に携わってきました。こうした現場は、発達につまずきのある子どもたちが利用しており、そうした多くの子どもたちとの関わりからの学びは今の私を支えるものとなっています。
昔だからこそ興味をもって学べたこと、今だからこそ経験を生かした判断や、その経験から生まれる疑問など多くの気づきがあります。
こうした中で時々思うことは、初心です。何事にも体験のはじまりがあります。始まりはわからないことや知らないことだらけですが、その状態であるからこそ多くの気づきや疑問が生まれるのだと思います。
そこで、今回は私が初めて療育施設で子どもたちと出会った初日の出来事や当時の思いなどをお伝えしていこうと思います。
私は療育施設での現場に携わる前には、小学校(特別支援教育など)でのボランティア活動や大学での実習、そして、児童相談所などで子どもたちと関わる機会がありましたが、障害のある未就学児との関わりは療育施設が初めてでした。
療育施設で最初に子どもたちと会ったのは、4月に毎年行われる入園式です。
一クラス10名前後の子どもと、それに対して大人が4名前後という体制になっていました。私は4クラスある中でも、年長児の多いクラスの担任になりました。入園式前には、クラスリーダーを中心にクラスでの話し合いが何度か行われました。中には前年度も在籍していた子どもも多くいました。
正直、そこで行われた話し合いはほとんどわからない、イメージできないという感じでした。ですので、自分の役割や動きだけ入念に確認した記憶だけが残っています。
当日の入園式では、保護者と一緒に子どもたちが来園し、1~2時間程度、卒園式、その後、クラスの懇談会という流れだったかと思います。
私はほとんど何もわからない状態でただひたすら保護者の方に挨拶をし、名前と顔が一致しない子どもたちを確認するように目で追っていました。自分の担当を探すのにも必死でした。
自分の担当の子どもが来園するとまずは挨拶をし、その後は、その子の近くにいる、ついて行くという動きを取りました。というよりはそれ以外のことができませんでした。
子どもは春休み明けで久々の園内を元気に動き回り、当然、私などお構いなしに、私よりはるかに詳しい園内を縦横無尽に行き来していました。入園式やクラス懇談会も同様に、私は子どもたちの傍にいて、必死に顔と名前、そして、子どもたちの様子を観察していました。確か、卒園式開始前に子どもを誘った記憶はありますが、私の言葉はなかなかその子に伝わらなかったということは覚えています。結局、あっという間に入園式とクラス懇談会は終わりました。
こうして振り返ると、何か関わりが持てたか?関わりのきっかけが持てたか?というと、答えは完全にNoです。一応、少しだけ自由時間などがあり、子どもたちと関わる時間がありましたが、どのように子どもに接すればいいのかなどを考えているうちに何もできずに時間だけが流れてしまいました。
私は、これまで未就学児との関わりは初めてであり、そして、発語がある子も少数のクラスだったため、どういった関係づくりや関わり方ができるのだろうか?と、様々な思いがその日のうちにわいてきました。
ただ、不安というよりは楽しみという感情の方が強かったことを覚えています。もともと大の子ども好きであり、園ではどういった遊びを行っているのか非常に興味がありました。
不安感といえば、経験の無さに加え、周囲は保育士の方が多く、保育関係を学んできた人たちの中でうまくやっていけるかということでした。。私は大学で心理学を専攻してきたという療育施設では稀なケースでした。つまり、経験も知識もない現場に飛び込んだという不安感です。ですが、そこに初めての要素が多いという期待感もありました。
こうして、様々な思いがこみ上げた初日でしたが、とにかく前進したい、挑戦したいという意識は非常に強かったことは今でもよく覚えています。この場合の前進は子どもたちの発達を深く理解したい、より良い支援を目指していきたいという思いです。そして、私が当時から目指していた経験と理論や知識との融合をこの現場で実現したいと改めて振り返る日となりました。
こうして初心を振り返ると、今でも関わる現場は違うにせよ思いは同じだと感じます。
その後についてはまた別の記事で書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。