共生社会とは、簡単に言うと、お互いを尊重し、支え合う社会のことを言います。
著者は療育現場で発達に躓きのある子どもたちと関わっています。
そのため、発達障害があるなど多様な人たちと接する機会が多くあります。
そのような中で、そもそも共生社会とは何か?発達障害のある人たちが社会の中でうまく生きていくためにはどのようなことが必要なのか?などについて考えることがよくあります。
それでは、そもそも共生社会とはどのような社会なのでしょうか?
また、発達障害のある人たちにとってどのような視点があると社会の中で生きやすくなるのでしょうか?
そこで、今回は、発達障害と共生社会について、「迷惑」と「失敗」をキーワードに考えを深めていきたいと思います。
今回、参照する資料は「本田秀夫(2022)学校の中の発達障害:「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち.SB新書.」です。
発達障害と共生社会について【迷惑と失敗をキーワードに考える】
以下、著書では共生社会について次のように考えています(以下、著書引用)。
共生社会とは、「相性最悪」な人たちがお互いにリスペクトする社会
著書にある「相性最悪」というところがポイントです。
私たちは自分が好む人と一緒に仕事をしたり生活したりした方が当然居心地は良いはずです。
しかし、社会には様々な人たちがいます。
その中には、自分と考えの違う人、単純に苦手や嫌いだと感じてしまう人など、うまくやっていけそうにない人たちもいるかと思います。
そのような社会の中で、多様な人とうまく折り合いをつけながら、かつ、お互いを尊重することが共生社会には必要になります。
共生社会を実現する上で大切なキーワードがあります(以下、著書引用)。
共生社会では「迷惑」と「失敗」を気にしすぎないようにすることが大切。
それでは、次に「迷惑」と「失敗」をキーワードに、この2つがなぜ発達障害の人たちが共生社会を生きるために重要なのかをお伝えします。
「迷惑」から共生社会を考える
以下、著書を引用しながら見ていきます。
私は「人に迷惑をかけてはいけない」という考え方を、人間の悪徳の一つだと思っています。
著書では、そもそも人に「迷惑」をかけてはいけないという発想がおかしいのだとしています。
発達障害の人たちがこうした発想を持つと、人と関わることに大きな制限が出てきます。
そのため、迷惑をかけるかもしれない、あるいは、かけてしまった後に、他者との対話を通して問題を解決していくとった視点がとても重要になります。
他者と対立する考えの中でどのように折り合いをつけていくのかは、むしろお互いが衝突する場面でよく起こるため、著書ではそうした衝突は人間関係を学ぶチャンスだとしています。
私たちの中には、子どもの頃から周囲の大人から「人に迷惑をかけてはいけない」という考えを刷り込まされている人も多くいると思います。
しかし、共生社会を実現するには、多様な人がおり、多様な考えがあるといった前提に立ち、その中で、人に迷惑をかけることもある(かけても良い)という認識のもと、お互いにとって、どのように考え行動すればよいかを話し合っていくことが大切だと考えます。
以上を踏まえ以下、再び著書を引用します。
私は、共生社会をつくっていくためには、問題を「人情」ではなく「契約」で解決することが重要だと考えています。
「人情」とは、例えば、「同じクラスだから仲良くしよう」、「年下には優しくしよう」などといった考え方であり、「契約」とは、ある種、お互いが納得のいくルールを設けるなどがあるかと思います。
こうした「契約」による解決策を、話し合いによって、折り合いをつけていくことが大切になります。
「失敗」から共生社会を考える
「失敗」することにより、周囲から変な目で見られてしまう、そして、特に集団内での「失敗」により集団に迷惑をかけてしまうという感覚は多くの人が体験しているものです。
その中で、発達障害の人たちは、周囲に溶け込むことが特性上難しい面が多くあります。
そのため、「失敗」しても大丈夫といった雰囲を作る一方で、集団で連帯責任を取るようなルールは避ける必要があります。
以上を踏まえ以下、著書を引用します。
いつも集団の中にいようとしなくてもいい。集団に入ることがつらければ、一人の時間を大切にしたほうがいい。
連帯責任の輪の中に無理に入る必要はありませんが、先ほど説明したような、さまざまな個性を持つ人たちがお互いにリスペクトしている集団には、入ってもよいと思います。
このように著書では、集団への参加を無理に強要してなくても良いが、その集団がお互いを尊重するような集団であれば参加しても良いと述べています。
集団にも様々なルールや価値観、雰囲気などがあります。
お互いを尊重するといった多様な価値観を認め合う集団であれば、その中での「迷惑」や「失敗」は、許容され、お互いにとって良い解決方法を見出すなど、共生に向けての動機付けは高まります。
そのため、発達障害児にとっての集団参加を考える場合には、「失敗」しても良いといった考え方・価値観をもつ集団を作っていくことがそもそも大切だということになります。
以上、発達障害と共生社会について【迷惑と失敗をキーワードに考える】について見てきました。
共生社会は多くの人たちが共に尊重し合い助け合う社会です。
発達障害の人たちは他者との関係や集団の中でうまくいかないことが多いため、発達障害の人たちにとって他者や集団とうまく関わることができる社会が共生社会に繋がっていくと思います。
私自身も療育現場で様々な子どもたちを理解していく中で、どのようにして子どもたち一人ひとりと良い関係を結んだり、良い集団作りをしていけばいいのかを日々考えています。
また、子どもたちだけではなく、子どもたちを支えるスタッフ間のチームとしての連携もとても重要です。
共生社会に向けてできることはそんな身近な人たちと良い関係を作っていくことから始まるのかもしれません。
私自身、まだまだ未熟ですが、今後も発達障害をキーワードに共生社会の実現に向けて自分にできることを実践していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
本田秀夫(2022)学校の中の発達障害:「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち.SB新書.