発達障害など、発達につまずきのある子供たちへの理解と支援は個々に応じて非常に多様であると現場での経験を通して感じます。
その中で特に難しい子供は、関係性の構築が難しい、多動・衝動性が高く落ち着きがなく他児とのトラブルが多い、すぐにパニックを起こすなどがあります。
上記の内容はあくまでも私のこれまでの経験から難しいと感じるものです。こういった子供たちと関わる機会がこれまで多くありましたが、その経験を通して学んだことも多くあります。
そこで、今回は、発達支援の現場で大変な子供に関わり続けることの意味を考えていきたいと思います。
この場合の大変な子供という意味はおそらく人によって意味合いや捉え方が変わってくるかと思います。そして、大変な背景には個人要因や環境要因など様々な要因が相互に関連しているため、様々な側面からの理解が必要になります。
今回は、前述した①関係性の構築が難しい、②多動・衝動性が高く落ち着きがなく他児とのトラブルが多い、③すぐにパニックを起こすという内容に焦点を合わせてお伝えしていこうと思います。
まず、①の関係性の構築が難しいというケースに関しては、様々な要因が考えられます。中には、発達の特性上対人意識が弱い、愛着関係上の問題など二次的な問題が生じているなど、私が関わってきたケースを見ても様々な事例がありました。
こうした場合の理解や対応はケースバイケースですが、長期戦となる場合が多くなります。ですので、短期で何かが変わるというより、年単位での支援の見通しや分析が必要になるかと思います。
次の②の多動・衝動性が高く落ち着きがなく他児とのトラブルが多いというケースに関しては、これはADHDで多く見られるケースですが、問題行動が目に見えるだけわかりやすいという内容ですが、事故に繋がる可能性も高く常に大人が注意して見ておく必要があります。
③のパニックを起こすという内容に関しては、先の見通しが崩れた場合や急な予定変更に弱い、そして、感覚過敏などの問題が多く関与しているかと思います。
この内容に関しては、特性の理解と対応を把握できれば比較的対応しやすくなることもありますが、子供によってはパニックの起こる頻度も多く、環境調整や配慮を多く必要とするケースもあります。
そして以上上げたケースがすべて見られる子供もいます。
私がここでお伝えしたいのは、こういった子供と関わる支援者が非常に重要な役割を日々実践しているということです。
私も大変なお子さんたちと関わっているときは、なかなか理解がうまくできない、支援がうまくできていないのではと、自分自身に腹を立てることもありました。今でも当然あります。しかし、長期的なスパンで支援の経過を振り返ると、少しずつでも子供たちの大変さや特性などが理解できることが増えてきたと感じます。
苦労した中でこそ見えてきた大変な子供の理解は、非常に後の人の理解と支援を支える糧になることがあります。そして、わからないからこそ知りたい・解決したいという動機づけも起こるため、このモチベーションによって学んだことは多くあります。
ですので、今はそういったお子さんを支援している後輩職員などを見ると、大変なケースほど後々記憶に残ることが多く、その中でしか得られない人への理解もあると伝えたいです。そして、当然ですが、共に協力して支援していく姿勢が重要です。
そして、こういったお子さんたちに悪戦苦闘しながら日々関わっている保護者の方へのねぎらいも大切です。
発達支援の現場で働く支援者は、多くの場合、ある一時期を共に過ごすことはあっても一生はありません。その意味でも、保護者の負担は非常に大きいものがあると感じます。
私自身、当事者の弟をもつ身として、その弟を支える親を見てきた立場として親の大変さを感じています。
最後に、最も苦労しているのは当の本人であるという認識も大切だと感じます。
ここまで大変な子供という言葉を多用してきましたが、大変な子供とはある種、私も含めた大人が見立てたものである場合があります。また、大人が作る社会環境が子供の大変さをさらにエスカレートさせてしまうこともあると思います。
このように、大変な子供を理解し支援していく過程で、支援者の苦労や保護者の苦労、当の本人の苦労など考えさせられたことは多くあります。
その過程の中でこそ見えてきた人への理解や支援の大切さがあります。
今後も、私自身多くの経験から意味を見出していきながら、より深く人を理解し、より良い支援ができように学びの姿勢を大切にしていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。