療育現場で子どもと接していると様々な矛盾を感じます。
例えば、A君が自分一人の力であれもやりたいこれもやりたいと駄々をこねています。しかし、一人ではできないため、結局は大人に助けを求めようともしているようにも見える状態などです。
このように、あちらをたてればこちらがたたずといった相反する状態のことを「両義性」と言います。
子どもたちは(大人もですが・・・)、こうした相反する心理状態を抱えていることが多くあります。
それでは、先の例の等に示した両義性ですが、その根底にはどのような心理状態をを抱えているのでしょうか?
今回は、著者の療育経験も含め、両義性について、自己充実欲求と繋合希求性の視点から子どもたちが抱える矛盾の構造について考えていきたいと思います。
今回、参照する資料は「鯨岡峻(2006)ひとがひとをわかるということ:間主観性と相互主体性.ミネルヴァ書房.」です。
自己充実欲求と繋合希求性とは?
以下、著書を引用します。
根源的な欲望を私は「自己充実欲求」と「繋合希求性」と名づけましたが、前者は「人はみずからの欲望を貫いて自己充実を目指す存在だ」ということをいい、後者は「人は常に誰かと繋がれて安心を得たい存在だ」ということをいうものです。つまり、人は「どこまでも自分を貫きたい」のに「一人では生きていけない」存在なのです。
著書の内容から、「自己充実欲求」とは、自分の欲望を貫き通そうとすること、「繋合希求性」とは、人は常に他者との繋がりを求めることであり、この両者を両義性(相反する状態)として心理的に抱えている状態を人は持っているということです。
著者も、こうした矛盾を痛感する場合があります。
例えば、仕事で自分のやりたいように自分の力だけで実行しようと思う中で、誰かの力も借りたい、できれば一緒に取り組みたいといった思いが混在している場合があります。
こうした相反する状態は、時にどちらか一方が強くなったり弱まったりするなど、明確な線引きがない状態が多くあります。
大人の場合には、自分でできる所とそうでない所など、ある程度の線引きはできるかと思いますが、子ども場合にはそうはいきません。
つまり、両義性の渦中の中で試行錯誤しているということです。
それでは、次に、こうした両義性を理解しておく利点について著者の療育経験からお伝えします。
著者の経験談
著者が勤めている療育現場には、発達に躓きを抱えている子どもたちが多くいます。
その中で、よく出会うのが自分の力でやりたい思いを抱えている一方で大人に頼りたい思いを同時に持っているというものです。
なんかうまくいかずに、グズグズしているなどがあります。
冒頭で取り上げたA君などもまさにこの状態であり、A君の中には、自分はもっとできる・一人でやりたい思いを抱えている一方で、現実には助けをかりないとできない心理状態にあります。
こうした両義的な心理状態を理解しておくことは、関わるスタッフに人への理解と支援の幅を持たせてくれます。
つまり、Aの状態に対して、Bの対応という単純な図式ではなく、Aの状態の中でも非常に心理的に揺らいでいるため、BかCの対応という幅を持った関わりが生まれます。
例えば、自分でやりたがっているA君に対して(自己充実欲求が強まっている)、その気持ちを尊重し、少しの手助けをさりげなく行い、結果、A君が一人で大部分をやれたという実感を持たせるということも必要です。
逆に、一人ではできることも甘えの欲求が強いときは(繋合希求性が強まっている)、スタッフが手伝うことを増やすことも重要です。
このように、その時々の子どもの心理状態に応じて、関わり方を変えることが療育現場にはとても必要になっていきます。
そのために、こうした両義性といった心理構造があるというこを理解しておくことが大切です。
しかし、言うは易しで実践するとその労力はとてもエネルギーを使います。
著者がここで伝えたかったことは、こうした相反する状態(両義性)を人は持っていて、その状態によって関わり方を変えたほうがうまくいくということです。
以上、両義性について、自己充実欲求と自己希求性の視点からお伝えしてきました。
こうした矛盾の構造は現場にいるとよく出会います。
特に、子どもの状態が悪いとこの構図が非常に変化するように思います。
今後も、子どもたちの表面上の行動だけではなく、行動の背景となっている心理的な根っこの部分まで理解を深めていけるように、実践と知識から多くのことを学んでいきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
鯨岡峻(2006)ひとがひとをわかるということ:間主観性と相互主体性.ミネルヴァ書房.