発達支援の現場(発達障害など発達につまずきのある人たちへの支援)で働いていると、様々な疑問が生じることがあります。
人の発達にはどのような法則があるのか?
発達にはどのような機能が関わっているのか?
どのような理解や支援が必要となるのか?
科学的な理解と現場の理解にはどのような違いがあり、どのように統合できるのか?
より良い支援をしていくために成長していくチームとはどのようなものなのか?
支援の成果とは何か?
など、様々なものがあります。
私自身、発達支援の現場に長年携わってきていますが、まだまだ分からないことが多く、日々、学び続けています。
そうした中で、今回は学びを継続することで見えてくることや、その過程の楽しみなどをお伝えしていこうと思います。
まずは、私が学びを継続する理由として、相手を理解するには自分独自の見方に偏らないために、思考を止めないことが大きな要因としてあります。
昔の私は、何でも結論や答えを探そうとするなど、プロセスよりも結果を重視する傾向がありました。そのため、短絡的に物事を考えたり、ある偏った見方をしてしまうことが多く、様々な意見に対しても、それを良いか悪いか、また、使えそうかそうでないか、という二分法で考えてしまっていたように思います。今にして思うと何も考えていなかったのに等しいかと思います。
こうした自分の考えにある気づきを与えてくれた存在がいます。
それは、弟の存在です。
私の弟は、発達障害であり、人よりうまくできない所や、偏ったものの見方などがあります。もちろん長所や得意とすることもたくさんあります。
当時の私は診断を受けた弟に対して、「障害ではない」と拒否的態度をとっていました。また、医師や支援者よりも兄としての自分の方が弟のことをよく理解しているという根拠なき自信もありました。
ここに大きな落とし穴がありました。
当時、たいした学びをしていなかった私は自分の偏った視点で物事を見ていたため、当然、弟に対してもそうした理解をしていました。しかし、実際にそれで、弟のことが理解できたかというとそうではありませんでした。
診断を受けた後も続く困り感の連続に対して、兄としてのこれまでの理解は通じませんでした。それは、感覚的に弟の困り感に共感できていないという感覚がありました。
こうした背景があり、私は本格的に心理学や発達障害などについて学びを始めました。
こうした学問を通しての学びは、冷静に、そして、客観的に人の理解や発達の理解に役立ちますし、何より今まで自分が知らなかったことを知る喜びは大きなものがありました。
また、学問だけではなく、様々な現場に足を運び、身体を通しての学びも大切にしました。身体に刻み込まれた経験と、頭を通して考えた経験は、後々、大きな自己成長に繋がると実感しています。
成長を実感する点として、これまで気付かなかったことに気づいた、新たな発見があった、新たな問いが出てきたなど、どちらかというと分からないことへの気づきの方が大きいように思います。
そして、問いがあれば人は考えることができます。考えを深めていく過程において、人の発達の多様さを認識することができていきます。
こうした経験の蓄積から、今では相手に対して、簡単にわかった気にならないという習慣が身に付いたのだと思います。
今では、学びを継続することが自分を成長させるために不可欠なものだと思っています。
今後も自分の原点を見失わずに、新しことに挑戦し続け、問いや疑問に向き合い続けていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。