最近は発達障害という言葉が社会の中で非常に浸透し広がってきている印象を受けます。
私がこの領域に関わりだした頃(10~15年以上前)と比較しても、その勢いや社会的認知は比べ物にならない感じがします。
最近は、子どもでなく大人の発達障害への認知も進んでいます。
私自身、子どもから大人まで発達障害のある方と関わった経験があり、理解と支援の視点として時間軸を非常に大切にしています。
まだまだ分からない点が多いですが、人の発達を理解するためには、ある時間軸の一時点だけでなく、長いスパンで考えることも必要不可欠だと感じています。
今回は、子どもと大人の両方の発達障害の方と関わってきた経験から大切だと思う点や新たな気づきなどについて考えてみたいと思います。
私は現在、放課後等デイサービスで支援員として働いています。そこには、ASDやADHD、知的障害など様々なお子さんたちが来ています。
また、今の職場には当事者スタッフの方たちもおり、一緒に支援に関わっています。当事者スタッフには、ASDやADHDなどの方も多くいます。
そのため、当事者スタッフが子どもたちとの関わりを通して、「自分の小さい頃を思いだす」、「自分の小さい頃と似ている」などの意見がでます。
これを聞いた私は“想像できないくらい似ていない”と感じることもあります!ある意味衝撃を受けます!
もちろん、部分的には似ている点もあるかと思いますが、それでも別人になったのではないかと感じることもあります。
その最たるものが“攻撃性”や“気持ちのコントロール”だと感じます。
こうした内容は目に見えるだけでなく、他者や周囲に非常に大きな影響を及ぼします。そして、自分自身が“やってしまった”ということで後悔が強く残ります。
実際に口で文句や不満を爆発させるだけはなく、人を叩く、蹴るなどのケースもあります。気持ちの高ぶりを抑えることができず、公共の場でも騒ぎ出す、パニックになるなど過去の体験談も当事者の方から聞きます。
しかし、そんなエピソードを持つ当事者スタッフの現在の様子を見ると、非常に穏やかな方が多いです!
私は、子どもの頃の心境や、なぜ変わることができたのか?といったことを聞きました。
子どもの頃の心境としては、“あまりよく覚えていない”、“とにかくやってはいけないとわかっていても手が出てしまう”、“刺激が多いと混乱し爆発する”など様々な思いを語ってくれます。
こうした内容も、具体的な状況や起こりやすい場面は人それぞれです。ですので、一概に規定はできません。
そして、今なぜ変わることができたのかについては、“自分で対策方法を見つけた”、“対処方法を習い実践した”、“自然と無くなった”などの意見がでました。
その中で、一番印象的だったのは、ほぼすべてといってもいいほど、それぞれの中で非常に苦労してきたことです。
人が変わるためには、変わるための動機づけが必要になると思います。
発達障害のある方は、社会の中で生きにくさを抱えている方が多くいます。そして、マジョリティ側の作った社会のルールに合わせることへの困難さに苦労されている方が多いと思います。
自分の中で合わない環境の中での失敗経験から変わらないといけないという動機づけが起こり変わったという方も多くいるのではないかと思います。
つまり、周囲とのミスマッチの中で適応に向けて様々な思考錯誤を行ってきたのだと思います。
こうした適応方略を学習していくことも大切だと思う面もありますが、それと同時に社会の側も変わる必要があると思います。
そして、当事者スタッフの方など大人の発達障害の方が歩んできた過程や、障害特性との付き合い方について私自身もっと学んでいくことが大切だと感じています。
こうした大人の事例について考えることは、子どものケースを考えるときにも非常に参考になると思います。
発達障害の特性は大人になっても残ります。ですが、どうやって解決してきたのか(適応してきたのか)、社会的に受けてきたサポートは何か、今必要な支援は何かなど、常に意識し考え続けることで子どもへの理解と支援のヒントになることも多くあると思います。
つまり、大人の方をヒントに子どもへの対応を考えるということです。それは、うまくいっている、うまくいくようになった内容もヒントになりますし、苦労した点や困難が今でも残り続けている点も参考にすべきだと考えます。
私自身、子どもだけと関っているのと、大人の方とも関わる経験があるのとでは、考えの質が非常に変わったと感じています。
今後も、発達障害への理解を深めるために、子どもと大人の双方向的な理解を大切にしていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。