私が現在働いている事業所には、発達につまずきを抱える子供たちが来ています。
子供たちの状態像も様々で、自閉症、ADHD、知的障害、ダウン症やそれらが重複したケースなど実に多様です。また、年齢層も1~6年生までおり、普段学校ではなかなか交わることのないある意味特殊な環境なのではないかと思います。
支援する人たちも様々です。児童指導員の職員から、当事者スタッフ、学生支援員、ボランティアまでおります。
今回はそんなある種複雑な環境の中で子供たちと関わってきた私の経験から、複雑な環境に意味をおくことの意味を子供の変化と大人側の視点両方から考察していきたいと思います。
まずは、子供たちがそんな環境の中でどのような意味を読み取ってきたのかを、年単位の行動の変化からお伝えしていこうと思います。
子供たちの中には、他児への意識が強いお子さんや、どちらかというと他児にはそれほど関心がなく自分のペースで過ごすお子さんもいます。また、そうした意識の変化は成長と共に変化してくるかと思います。
他児への意識が強いお子さんは、自分から見てとにかく他児のよくわからない行動に意識が向き、「なんだよ!お前障害者かよ!」、「あいつと一緒は嫌だ!」など他児を批判する言動も見られます。時には喧嘩が絶えないこともあり、相手を見ただけで「近づくな!」と手を出そうとすることもあります。
ただでさえ相手の理解や大人の説明の理解が難しい子供が、様々な発達につまずきを抱える他児を理解するのは難しい話だと思います。
しかし、これも長い年月をかけて毎週のように同じ空間にいると意外な変化が起きます。
それは、他児への理解がある種その子なりの解釈にはなりますが進み始めるということです。これまで、さんざん批判してきた言動も、「○○について教えて?」、「一緒に遊ばない?」、「お前、意外といいやつだな!」など予想しなかった出来事がたびたび起こります。
以前はあんなに仲が悪かったのにと感じていた間柄でも、何かをきっかけに急に距離が縮んだケースは多くあります。その過程の中で、何か他児についてその子なりに“わかった!”、“良いところがある”、“○○について詳しくてすごい”などポジティブな要素を見出したのだと思います。そして、“いつもいるので慣れてしまった”ということもあると思います。
一方、他児にそれほど関心のないお子さんの中にも、何か興味や関心をきっかけに遊びなどから関わりが増加したケースもあります。
私の事業所でよくやる鬼ごっこやかくれんぼなどから、一緒にやる他児を誘い、そこから集団で遊ぶ場面が出てきた例もあります。何がきっかけで子供たちが集団の中で楽しみを見出すのかはやってみないとわからないこともあり、それは偶発的に起こることがよくあります。
複雑な環境下において、子供たちは一人ひとり考え自分なりに他者への理解をしているのだと感じます。もちろん大人が意味づけることも大切です。私たち大人は、当然ですがリスクや他児への過度の非難を防ぐことを前提に、それぞれの成長を長期的にサポートする姿勢を大切にしていくことが大切なのだと思います。また、これまで見てきた子供たちの行動の変化にしっかりと目を向け、変化の中で子供たちを捉えるという観点も重要だと思います。
次に、大人側の視点について、私の心境の変化をお伝えしていこうと思います。
私はこれまでできるだけ子供たち同士がトラブルにならない状態を作るために、個々の特性に配慮した対応や環境調整を心掛けてきました。もちろん今でも継続しています。
私が注目したいのは、子供たちは私の想像以上に変化の可能性があるということです。それは先にお伝えした子供たちの言動の変化からも見て取れます。
以前の私は問題行動と思われるものについては、何とか注意して防がなければという思いが強かったかと思います。そして、当時は子供たちを変化の少ない固定的な状態として見ることも少なからずあったと思います。
しかし、子供たちの変化を見てもっと柔軟に変化を前提に関わる姿勢が問われているのだと感じました。そういった姿勢で大人が関わるのとそうでないのとでは子供の成長の伸びしろも非常に変わってくるのだと思います。
複雑な環境に身をおくということはポジティブな見方をすると変化の可能性があるということでもあります。変化を苦手とする子供たちも多いので、当然配慮は必要ですが、子供たちの姿から教えられたことをバネに、私自身も変化と柔軟性をもって子供たちと関わっていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。