発達理解・発達支援・ブログ

人間の多様な理解と支援を目指して!

ニューロダイバーシティ 療育

ニューロダイバーシティ(神経多様性)とは何か?

投稿日:2022年7月3日 更新日:

ニューロダイバーシティという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

著者は発達障害領域で療育をしています。

そのため、少し前から、書籍やメディアなどでこの言葉を聞くことが増えてきた印象があります。

それでは、ニューロダイバーシティ(神経多様性)とは一体なんでしょうか?

今回は、著者の療育経験も踏まえ、ニューロダイバーシティ(神経多様性)について、考えていきたいと思います。

今回、参照する資料は「「発達障害」だけで子どもを見ないで:その子の「不可解」を理解する」です。

 

ニューロダイバーシティ(神経多様性)とは?

以下、著者を引用します。

すべての脳の違いを優劣ではなく個性として、障害ではなく生物としてのバリエーションであるととらえる発想です。

このように、著書の内容から、ニューロダイバーシティ(神経多様性)とは、発達障害などといった障害を、脳の違いといった個性(バリエーション)として捉えるものになります。

障害という言葉はどこかでその境界を区切るというイメージがありますが、そもそも多様であるといった違いを強調していることが特徴かと思います。

もちろん、ASD(自閉症スペクトラム障害)などからもわかるように、最近の障害の概念はスペクトラムといった連続体といったどこかで区切るものではないといった考え方が主流となってきています。

つまり、ASの特性はすべての人が強弱はありながらももっているという考え方です。

しかし、障害という言葉がつくとどうしても「障害がある・ない」といった区別(二分化)思考に陥ることになります。

それを、そもそも脳は障害があろうがなかろうが多様であり、個性的だという発想や考え方は、多様性のある社会を目指すためにはとても重要なことだと思います(そもそも生物学的には人は多様で違いますが・・・)。

 

以下、引き続き書著を引用します。

この視点によって、その子にどんな診断名が付くかというよりも、「その子の状態に合わせて丁寧に対応していきましょうね」という発想で支援のポイントを明らかにし、今必要な応援を選択して日々の生活を工夫するアイディアを探っていくことができます。

このように、ニューロダイバーシティの発想は、障害といった診断名を強調するよりも、個々の状態に応じた対応といった生活を支援する視点への転換をもたらせてくれます。

このように脳自体が、そもそも個性があり違いがあるという認識が深まり広がることは、偏見や差別の解消に繋がり、また、教育や社会も個性を尊重したものへと変わる動機づけになると思います。

 

著者のコメント

著者は療育現場に長年勤めていますが、関わる子どもたちは非常に多様です。

あまりに多様であるため、そもそも子どもたちはすべて多様であるということに気づかされます。

こうした気づきの阻害要因は、他の記事でも何度も述べておりますが、同調圧力の強い社会にあると思います。

つまり、これまで自分が受けたきた教育や常識が影響している面が強いと思います。

こと日本社会はみんなと同じや周囲に合わせることを強要されます。その中で個性や自分で考えることも同時に求められるなど非常に矛盾する構造があるように感じます。

こうした中で個性を発揮するには、周囲に適当に合わせながらも個性を磨いていく器用な人や、よほど何かで突き抜けている人、そもそも周囲の目を気にしない性格など、少数派であるように思います。

ただでさえ、発達の特性が強い子どもたち(少数派)は生きにくい社会にいます。

ニューロダイバーシティ(神経多様性)の視点は、そもそも生物学的に人は多様であるということを教えてくれます。

もちろん、今の教育や社会システムのすべてを否定しているわけではありません。良い部分も多くあるかと思います。

しかし、そもそも違いがある、多様である、個性的であるといった前提に立てていないのが現状だと思います(そういう著者もまだまだ未熟です)。

それでは違いを認め合うという以前に、そもそも違うというニューロダイバーシティの視点に立つには何が必要なのでしょうか?

私自身まだ答えの出ない問いではありますが、そもそも違うという発想は日々の子どもたちとの関わりから身体に刻まれていくのだと思っています。

そして、そうした身体知を自分の頭で繰り返し考えるということもまた重要だと感じます。

そうした発想に磨きをかけるためにも、今後も個々に応じた理解や配慮・支援を行っていく必要があると考えています。

 

発達障害の認知がここ十数年で急速に広がる中で、様々な個性をもった人たちが社会には多くいるのだという認識が深まっているように感じます。

私自身、まだまだ未熟ですが、障害という理解を超えて、そもそも違って当たり前という社会を目指していくために、今自分ができることを現場で取り組んでいきたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

田中康雄(2019)「発達障害」だけで子どもを見ないで:その子の「不可解」を理解する.SB新書.

-ニューロダイバーシティ, 療育

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

発達障害とSNSやゲーム依存について-療育経験を通して考える-

発達障害のある方は、過集中傾向が強いことや、対人関係よりも他のことを求める傾向、そして、二次障害などからSNSやゲームに依存する人も多いと言われています。 SNSやゲームは、使い方さえ間違わなければ現 …

【臨床発達心理学に学術的根拠を求める方法について】療育経験を通して考える

〝臨床発達心理士″とは、〝発達的視点″を持ちながら現場のニーズを解決していく実践者のことを言います。 そして、実践の根拠となる学問領域の中心が〝臨床発達心理学″になります。 このように、実践と根拠(理 …

療育の成果について-時間管理と忘れ物の管理について-

療育の成果について、どのような働きかけが成果に繋がったのかを特定することは難しいことです。まず、何を持って成果と言えるのか、そして、成果には様々な要因が絡んでいるからだと思います。 さらに、成果(変化 …

発達の機能間連関とは?-療育経験を通してその大切さを考える-

療育現場には様々なお子さんたちがいます。 それは、ASDやADHDなど発達に凸凹がある人、知的障害のように全体的な発達がゆっくりである人など非常に多様です。 こうした発達に躓きのあるお子さんたちを理解 …

療育の大切さについて-放課後等デイサービスでの経験を振り返る-

著者は長年、発達に躓きのある子どもたちたちと放課後等デイサービスなどの事業所を通して関わってきています。 長年の療育を踏まえて、放課後等デイサービスの役割や意味などを実感できる場面が多くあります。 そ …