自閉症の人たちの中には不器用な人たちが多いと言われています。
例えば、うまく歩いたり走ったりすることが難しい、ボールを投げたり蹴ったりといった球技が苦手などの全身運動(粗大運動)から、書字や箸などの道具の使用が難しいといった手先の運動(微細運動)の苦手さなどが例としてあります。
こうした全身運動から手先の細かい運動の苦手さには個人差があるため、ある人では手先の運動は得意であり、全身運動が苦手というケースもあるかと思います。
こうした不器用さなど運動に関する発達障害を、発達性協調運動障害(DCD)と言います。
関連記事:「【発達性協調運動障害とは何か?】不器用さについて療育経験を通して考える」
それでは、自閉症児・者の不器用さの問題はどのように考えられているのでしょうか?
そこで、今回は、自閉症児・者の不器用さの問題について、臨床発達心理士である著者の経験談も踏まえて理解を深めていきたいと思います。
自閉症児・者の不器用さの問題について
以下に、〝不器用″さの問題が、なぜあまり取り上げられることがないかについて、著者の見解も交えながら見ていきます。
自閉症の人たちは、昔から体の使い方がぎこちないなど、不器用さを指摘されることはありました。
一方で、主たる症状や困り感がコミュニケーションや対人関係といった理解が進んだことで、いつしか不器用さなど運動の問題は議論として上がることが少なくなりました。
著者が勤める現場においても、不器用さを主訴とした困り感などを当事者の方から直接聞いたり、子どもたちの行動から不器用さを感じることも多くあります。
しかし、なかなか支援の対象になることは少ないように感じます。
それでは、〝発達性協調運動障害”といった診断名が登場したことで起きた変化について、次に見ていきます。
現在はもともと不器用さが多く見られる自閉症の人たちにおいて、発達性協調運動障害の併存診断が(DSM-5より)認められるようになりました。
つまり、不器用さなど運動の問題も支援の対象に入ってきたということです。
しかし、以前として、著者がこれまで勤めてきた現場においては、なかなか不器用さといった運動の問題が議論に上がることは少ないように感じます。
自閉症の当事者の方からは、困り感としては上がりますが、周囲の理解や認識はまだまだ途上といった印象があります。
一方で、自閉症の人たちによく見られる感覚の過敏さや鈍感さなど、感覚の問題に関しては、ここ10数年の中でだいぶ理解が進んできたという印象があります。
そう感じる理由としては、職場の研修で感覚統合についての講義を受けたり、感覚に関する書籍の増加や、実際の現場で感覚の問題などが議論に上がる頻度などを見てだいぶ理解が進んでいると感じます。
感覚過敏や鈍感さは、感覚調整に関するものであり、不器用さ関しては、運動を頭の中で企画(イメージ)し、実行するといったアウトプットに関わるものです。
不器用さは目に見えるものですので一見わかりやすいかと思われがちです。
しかし、日本社会において、勉強や対人スキル(協調性など)などが重視される傾向が強い社会の中では、まだまだその重要性が認識されることは難しいのだと思います。
著者の周りには大人になってから不器用さの問題が顕在化し、就労関係で苦労しているケースなども見られるため、生涯にわたって不器用さなど運動の問題は非常に理解と支援を受ける必要があるものだと感じます。
不器用さをより詳細に見ていくと、筆記など書字運動にも影響を及ぼすため、勉強との関連もありますし、スポーツなど他者と協調して行う集団競技にも間接的に関連があることが想定されるため、今後は、運動に関する支援の必要性がより高まってくるかと思います。
私自身、自閉症の人たちと関わることがこれまで多くありながらも、不器用さなど運動への理解が不足していたため、今後は対人関係の難しさやこだわり行動といった自閉症の主たる症状以外の困り感にも目を向けていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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