現場で対人支援をしていると数々の不確実なことに出会うことがあります。
そうした事象を取り上げ、問題解決のために情報収集をしても、完全に同一な状況は起こりえないため最終的に自分で考えることが非常に重要になります。
そうした現場での経験から問題を探し、仮説を立てて情報にアクセスし、思考し実行に移すという繰り返しが臨床の現場では重要になるのだと思います。
今回は、8年以上、発達領域に携わってきた、私自身の経験とその過程においての学びを振り返りながら、臨床実践の重要性について考えていこうと思います。
最初に、私が学びの上で非常に参考にしている本田秀夫さんの著書「自閉スペクトラム症の理解と支援」の言葉を引用したいと思います。
自閉スペクトラム症の支援に関わろうとする人たちは、このような自閉スペクトラム症に関する臨床と研究の歴史をある程度知り、それをふまえて実際に当事者と関わりながらこれからの課題について自分の頭で考える必要があります。実際に自分の目で見て自分の耳で聞いて体験したことを記憶に残しながら、それらを本や文献で読んだことと照合し、新たな視点や改定すべき点がないかを探っていく。そのような地道な作業の繰り返しが臨場実践なのだと思います。
この内容を読んだ際に、自分も非常に同意致しました。そして、この書籍は自閉症について書かれたものではありますが、当然、他の障害などにも当てはまります。
私が臨床実践の意味を考え始めたのは、現場に出たときに、果たして大学での学びが何の役に立つのかという素朴な疑問からでした。そもそも学問とは実践的であると思っていたからです。
結論から言いますと、目的意識を持った学びや自分なりの批判やそこで見出した知見がないと、臨床実践もある種、前例主義に基づいた判断や、知識も知恵になる以前に忘却してしまうということになると思います。
大切なのは現場での疑問や自分が探求したい点、解決したい問題などをまずは見つけだすという作業です。
例えば、自閉症一つとってみても、コミュニケーションの難しさやこだわり行動も現場で体験したものとそうでないものとではその実感が非常に違ってきます。また、ADHDの不注意や多動性、衝動性も実際にその行動を見て感じないと、その特性の意味合いがわからないと思います。
そして、そうした経験をもとに自分で調べることで、漠然とした事柄が次第に言葉になってくることがあります。例えば、先に自閉症やADHDの例で言えば、具体的なエピソードが思い浮かび、それを知識や理論で説明できるということです。さらに言えば、困難さを理解しそのためにできる解決案の提案もしていけることが重要になります。
さらに、そうした同じような発達特性を持ちながらも性格などパーソナリティはそれぞれ違いがあるため、こういった点に関しては直接当人と関わらないとわからないことが多くあります。
臨床実践を重ねることの意味は、現場と知識を双方向的に行き来していきながら、曖昧な点を言葉にしたり、ある現象を知識で説明できるようになったり、不確実な環境に身をおきながら問題点をより深めたり、課題解決方法を探るなどしていきながら、人への理解を深めていく過程そのものだと思います。
その中で、自分が探求したい問題は意外と苦労した経験からもたらされることが自分の場合は多かったように思います。大変なケースを担当した時や、自分がリーダーシップをとって行う必要があるときの困り感、自分の身近な人が困っているときなどです。
そのために大学での学びは大切だと思いますが、それも個々がどのような意味を見出せるかだと思います。あるいは、後にどのような意味に繋げていけるかという基本的な知識や学びへの向き合い方を学習することも重要だと考えます。
私も臨床実践をしていきながら、徐々に理解できるものが増えてきたと思います。ですので、当初の漠然としていた臨床実践をしていくことの意味や、大学での学びも自分なりに多くの意味を見出してきたことは大きな収穫だと思っています。
最後に、お伝えしたいのは、今でもわからないことが多くあるということです。むしろわからないことの方が多いと感じます。ですが、以前との違いはその感覚に楽しさがあるということです。それは臨床実践を通して探求していく中で、多くのことを学ぶことができたからだと思います。
非常に抽象的な内容になりましたが、今後も臨床現場から人の多様性を理解できように様々な現象やエピソードなどを経験と知識を持って探求していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
本田秀夫(2017)自閉スペクトラム症の理解と支援.星和書店.