発達障害には、自閉症スペクトラム障害、ADHD、学習障害など様々なタイプがあります。
それぞれ、特徴とする障害特性は異なります。また、他の障害と併存したり、一方の障害特性が強く、他方が少し見られるなど様々なタイプがいます。
私自身、発達支援の現場で様々な発達障害のある方との出会いがありましたが、そこで感じるものには一見「普通」に見えてしまうケースも多く存在するということです。
しかし、「普通」に見えてしまうことは、彼らの生活の中で困り感が生じた時には、「努力すれば何とかなる」「様子をみれば治る」など、彼らの困り感の本質からは遠のいた理解に繋がってしまう可能性があります。
実際に彼らと接してみると「普通に見られることは嬉しい反面つらい時もある」「普通にはなれない」「そもそも普通とは社会が勝手に作ったもの」など様々な意見がでます。
こうした周囲からの一見「普通」と思われてしまうことは、実際に社会に出てうまくいかないことが出てくると、「できない」「普通ではない」などマイナスの評価に繋がってしまいます。こうした積み重ねをしてしまうと、「自分はできない」「何をやってもうまくいかない」という低い自己評価をしてしまいます。
私も、身近で彼らと一緒に活動してみて初めて気づく困難さや、周囲からの理解を難しくさせている部分に気づかされることが多くあります。
例えば、人との会話での暗黙の了解事項の理解の困難さ、その場の状況を読み取って発現することが難しい、気づかないうちに一方的な会話になってしまう、音に敏感で注意すべき対象に集中できない、スケジュールの管理が難しいなど、様々な困り感があります。
こうした困り感や行動傾向は、時々ではなく、頻度として多く出ます。しかし、人によって、工夫などをしているため、あまり目立たないこともあります。
現場の当事者の方に話を聞くと、自分なりに特性への対策など様々な工夫をされていますし、それに対して周囲がどのように感じているのかなども過去の経験から予測できる方もいます。
前述した困り感の内容は部分的、あるいは状況によって多くの人にも見られるものかと思います。ですので、やはり、現場で彼らの困り感について、活動を通すなどして体感することが重要なのだと思います。
発達障害の生きにくさは、その人個人の努力だけでは難しいケースが多く、周囲の理解がとても大切になります。
私たちは、発達障害という認識を超えて、もっと多くの人たちが多様であるという認識を持つ必要があると思います。
多様性を目指すというよりは、そもそも多様であるという考え方です。
今、発達障害の多くはスペクトラムという考え方になっています。スペクトラムとは、どこかで途切れることがなく連続しているという概念です。ですので、この連続体の中に、すべての人が含まれています。
多くの人がこの地続きの中にいて、障害とは、社会が生み出したものという視点がさらに広がることで(医療モデルから社会モデル)、社会がもっと多様な生き方を尊重できるようになることを期待したいと思います。
そして、私自身、自分の身近でできる発達障害への理解や支援の内容などを今後もさらに学び・実践していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。