発達障害の方の中には一見何が障害なのか?なぜ困っているのか?など周囲からわかりにくいタイプの方々がいます。
そういった方の中には、診断がついていないが発達障害傾向のある場合など、ある特性が目立つタイプの人たちもいます(特性の強弱はありますが)。
私の身近にも一見すると特に問題がないように見えるも、本人の話や実際に一緒に活動してみることで様々な困難さが見えてくることがあります。
そういった理解がないと本人の努力不足として見られてしまい、より良い関係をつくることやその維持が難しくなり、そして、当事者の自尊心が傷ついてしまうことが考えられます。
今回は私が身近に関わりのある発達障害の方の生きづらさを例に上げ、その生きづらさを深堀していきながら、少しのズレが大きなズレを生むことについて考えていきたいと思います。
発達障害の生きづらさについて:事例紹介
今回取り上げる成人男性Aさんは、高校生の頃に、広汎性発達障害(現在は自閉症スペクトラム障害に変更)の診断を受けました。
Aさんは、周囲の言っていることが理解できない場面が多くあるも、愛嬌の良さや、非常に謙虚な姿勢から、周囲からの好感度はよく、何となく会話がうまくできているように見えることもありました。
また、慣れた相手や一対一のやり取りでは時間をかければうまく会話ができることもあり、当時は、本人の努力や成長によって、少しずつそのギャップが埋まるのではないかと言われることもありました。
しかし、年齢が上がるごとに対人関係やコミュニケーションが困難になり、仕事に就くとコミュニケーションの面でこれまで何となくやれていたことも、決められた業務になると適応が難しく、時間をかけても会話の理解や応答が難しいなど問題が顕著になってきました。
ここで考えなければいけないのが、少しのズレ(だと思っていたこと)が環境が変化すると大きなズレになることがあるということです。
Aさんにはコミュニケーション以外で苦手としているものがありました。それは、学校の勉強です。発達障害の疑いを家族がもち診断を受ける決め手となったのは勉強の顕著な遅れからです。
Aさんは、小学校に入学すると少し落ち着きがないこともありましが、学年が上がるにつれて授業態度も真面目になり、宿題などを毎回先生にしっかり確認する様子も出てきました。暗記科目を得意としており、勉強時間をたくさんとり必死に勉強していました。そうした努力もあり、成績は比較的悪くない状態が続きました。
しかし、中学生に上がると徐々に思考力などが問われる問題も多くなり、暗記のみでは通用しなくなりました。この頃は、暗記に依存した学習方法をとっていたことを周囲はしっかりとは把握できていなかったのかもしれません。その後は、成績が伸びることはなく、Aさんは完全に自信を失い、勉強に手を付けることは少なくなりまいた。
こうした学習面も、最初は本人がしっかりと取り組み、授業態度がよく、暗記に優れていたことで高得点を取ることもあってか、そのうち周りに追いつくという安易な考えに至った要因だったと思います。
ここでも重要なのは、少しのズレ(だと思っていたこと)が成長に伴い大きなズレを生むことに繋がる場合があるということです。
人間は基礎やベースがしっかりと形成されながら、次の段階へと進んでいくと発達心理学的には考えられています。
コミュニケーションの面では、相手の伝えたい内容の意図などを言語・非言語情報を用いて理解する能力や、相手に自分の思いや考えを伝えるなど状況に応じて臨機応変な対応が求められます。学習においても、読み書き、意味理解など基礎が重要になります。
もちろん、個別の違いはありますが、何となく追いつくのでは?少しのズレだから大丈夫では?と考えるのは発達障害の人、あるいは発達特性のあるタイプの人たちには安易に考えないほうがいいかと思います。
今回取り上げた例は私の弟についてです。
実際に言葉で語りつくせないほど大変な局面もありましたが、現在は、自分の能力や特性への理解も進み、自分でできることと人に頼ることとをうまく判断できるようになってきています。
昔の私が少しのズレを軽視していたことを今後悔しながら、今現場で関わる人たちにはできる限りの理解をしていきたいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。