療育(発達支援)とは、障害のあるお子さんやその可能性のあるお子さんの発達のつまずきや特性などを理解し、自立や社会参加に向けて支援を行うことをいいます。
私が以前勤めていた療育施設の園長先生は、療育のことを「より丁寧な保育」とお話しされていました。
確かに、通常の保育現場とは違い、一人ひとりの発達のつまずきや特性が大きく、そして、医療的ケアが必要なお子さんも多くいました。
そういった意味では、人ひとりにあった理解と支援がより重要になってくるのだと思います。
今回は、私が療育(発達支援)経験から学んだことについて、療育施設での経験をベースに発達を理解することの大切さについてお伝えしていこうと思います。
著者の経験談
私は、今から4~5年ほど前まで療育施設で児童指導員として、発達につまずきのある未就学児の療育に携わる仕事をしていました。
登園していたお子さんも非常に多様で、自閉症児、知的障害児、ダウン型児、肢体不自由児、視覚障害児、聴覚障害児などといったお子さんたちが登園していました。
療育施設の一日は、登園→自由遊び→朝の会→設定遊び→自由遊び→給食→午後の遊び→帰りの会、という流れになっています(非常に簡単にいいますと)。
通われてくるお子さんの中には、発語のない方も多くいたため、私がこれまで関わったことのないタイプのお子さんたちが多くいました。
そのため最初は、どうコミュニケーションをとっていけばいいのか?子どもたちはどのような遊びを好むのか?食事やトイレなどをどのようにサポートしていけばいいのか?(他多数の疑問あり!)など多くのわからない点がありました。
そのため、最初にとった行動はとにかく先輩たちの動きや関わり方を真似るということでした。
子どもたち対して、どう声をかけているのか、どうやって遊びを作りリードしているのか、食事やトイレの介助方法など、とにかく見て学ぶ、感じて学ぶ、動いて学ぶということを繰り返しました。
そういった動きながら、見て、感じて学ぶという姿勢が日々積み重なることで、子どもたちが何を伝えたいのか、その時どう声をかけるのか(声がけの内容や身振りなどの非言語的コミュニケーションも含め)、何の遊びが好きなのか、食事やトイレはどこまで手伝えばあとは一人でできるのかなど感覚的に学ぶことができてきました。
最初の突破口は、子どもたちが“もっと遊ぼう”というように関わってきたことで、その中でのやり取りから、コミュニケーションの取り方や信頼関係が少しずつ積み重なることで、”何となくわかってきた”という感じがしたのが始まりだったかと思います。
その意味で、自発性を引き出す関わり、自発的な行動を保育者が感じながら動くということが特に遊びの中ででるのだと感じました。
当時の自分はとにかくがむしゃらに動いていた感じがします!職人でいうと言葉で理解するのではなく、師匠の動きを見て理解するという感じに近いと思います。
少しずつ関わり方が体感で分かってくると次に取り組んだことは、その体験でつかんだことを言葉にすることでした。
ここにきて一気にハードルが上がった感じがします!
それまでは、先輩の真似や経験を重ねるなど現場で日々自然と身に付いてきたことが、それ以外の要素が必要になるからです。
つまり、自分で必要な情報を収集し現場の経験に重ね合わせながら、自分の頭で考えるということです。
これは意識しないと身に付かない能力だと思います。
情報を収集する上で大切なのは、現場からくる疑問に対してどのような理解やより良い支援はあるのかという自分の経験をベースに調べ考えるということです。
先の例で言うと、コミュニケーションの取り方一つとっても奥が深く、そもそも言葉はどのように発達するのか?遊びについても、遊びの発達段階はあるのだろうか?それは質的にどう変容するのだろうか?などの疑問を自分の場合は最初に考えていたように思います。
その中でのキーワードはやはり発達にありました。
療育現場で関わる子どもたちは一人ひとり非常に違います。ですので、当然、一人ひとりの発達への理解がとても重要になります。それは年齢でははかることのできない、個々の段階があるからです。
私は発達的な観点に立つことで、体験したものを言葉で説明できる能力を少しずつ身に付けることができるようになりました。
まだまだ未熟ですが、その力は他の職員と情報を共有するとき、個別支援計画を作成するとき、一人ひとりの発達にあった支援を実施するとき、保護者の方と情報を共有するときなどに生きていると感じます。
療育施設での子どもたちとの関わりを通して得られた発達の理解や支援内容は数多くあります。
また、他の職員との連携も重要であり、例えば、医療的ケアが必要なお子さんに対しては、看護師の力がとても大切になります。
そうした中で、自分ができることを探すということも重要であり、私の場合は発達的視点に立った理解と支援に少なからず方向性を見出しました。
今後も、療育経験を通して、経験の重要性と知識から得られる学びの両方を大切にしていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。