発達障害の中でも、自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の人たちは〝感覚の問題″が多く見られると言われています。
その中には、〝感覚の問題″があることで、他者との距離感がよくわからないといった問題もあると言われています。
それでは、なぜ感覚の問題があることで他者との距離感の理解が難しくなるのでしょうか?
そこで、今回は、自閉症の感覚の問題を通して、なぜ他者との物理的距離が近くなるのか?について理解を深めていきたいと思います。
今回参照する資料は「井手正和(2022)発達障害の人には世界がどう見えるのか.SB新書.」です。
ASD者が他者との物理的距離が近づく理由について
以下、著書を引用しながら見ていきます。
定型発達者は、その場に応じて、身体近傍空間をときには拡張するなどして適度に調整しています。(中略)「自分」と「外界」との境界線の感覚がぼんやりしているからです。
自分と外界との境界線が拡張せず、まさに自分のボディラインそのものであると考えるASD者の場合、「相手との『間』」を意識せず、その結果として物理的距離も近くなってしまう傾向があるようです。
私たちには〝ボディイメージ″といった〝身体感覚″があります。
〝ボディイメージ″とは、車に例えると車体感覚のことであり、運転に慣れてくると、前方・後方・左右の車体の感覚が〝何となくこの辺りまである″というように身体感覚が拡張されていきます。
人が道具(ペンや箸、縄跳びの縄など)を操作する時にも同様に、道具が自分の身体の一部になっている感覚が使い慣れてくると生じます。
一般的に、私たちは、物を操作する時だけではなく〝人″にもそれぞれ固有の〝身体感覚″を持っているいることを感覚的に認識しています。
つまり、定型発達者の場合には、〝人″と〝人″との間に生じる境界線をぼんやりと理解できるということです。
それは、自他の〝身体感覚″を感覚的に感じる力があるからです。
例えば、他者の身体感覚を漠然と理解できることで、〝この程度の距離感であれば大丈夫だろう″〝相手が不快に思わないだろう″といった理解ができます。
一方で、ASD者の場合、〝人″と〝人″との境界線は〝自分のボディラインそのもの″であると感じるため、適度な距離感を保つことが難しいと著書には書かれています。
つまり、目には見えない他者の身体感覚の拡張(〝この辺りまでは入ってきてもいい″)の理解が難しいということです。
また、ASD者は、道具が自分の身体の一部であるという認識も乏しいようです。
ASD者の他者との距離感で課題に上がることの一つが、〝異性との距離感″です。
思春期頃から生じる異性への興味は自然なことですが、それに伴い、相手から不快に思われる距離の取り方(近すぎるなど)が課題となって現れる場合があります。
このような場合には、適度なパーソナルスペースを伝えていくことも一つの方法としてあります。
大切なことは、決して悪気があってやっているのではなく、ASD児・者の独特の〝感覚の問題″が影響して、距離をうまくとることができないといった背景に目を向けていくことです。
著者のコメント
著者の周囲にも、自閉症児者は多くいます。
自閉症児者の中には、今回見てきたように他者との距離感が非常に近いと感じるケースも時々見られます。
例えば、著者と一緒に道を歩いていると私の肩に時々ぶつかるほどの距離感で歩く方もいます。
何度か肩が当たっても修正が難しいといった感じです。
もちろん、悪気はないため、著者が声を掛けたり少し距離を遠ざけながら歩くように調整する必要があります。
こうした距離感を理解する上で、ASD者に見られる〝感覚の問題″を知っているかどうかで周囲の理解や配慮にも違い出るのだと考えさせられました。
以上、【自閉症の感覚の問題】なぜ他者との物理的距離が近くなるのか?について見てきました。
身体への感覚は子どもの頃から、自分の体を動かしながら学習し拡張させていきます。
一方で、自閉症の人たちは、感覚過敏や感覚鈍麻があることで、感覚の取り込みが不十分であったり情報の統合に不具合が生じると言われています。
大切なことは、今回見てきたように表面上は感覚の問題だと思えない行動上の問題にも、背景となる要因(感覚の問題など)があることを理解していくことだと思います。
私自身、まだまだ未熟ではありますが、今後も感覚についての学びを進めて行きながら、自閉症及び発達障害についての理解を深めていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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