不登校の期間は子どもによって違います。
中には、非常に長い期間不登校が続くケースもあります。
不登校児の親はできるだけ早く学校に行って欲しいと願っていると思います。
しかし、仮に学校にいくようになっても、不登校が終結したとは簡単に言えません。
それでは、不登校の終わりとはどのような時なのでしょうか?
そこで、今回は、不登校の終わりとはいつかについて、臨床発達心理士である著者の意見も交えながら、人によって違う不登校の終わりについて理解を深めていきたいと思います。
今回参照する資料は「石井志昂(2021)「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること.ポプラ新書.」です。
不登校の終わりとはいつか?
以下、著書を引用しながら見ていきます。
苦しかったことに決着をつけるための時間の長さは、人によって違います。いわゆる思春期が終わる頃に、不登校が終わる人も多いと思います。一方で、大人になってからも、不登校が終わったとは感じない人もいると思います。
著書の石井さんは長年にわたり、不登校の子どもや親と多くの関わりのある方です。
そして、著書によれば不登校の終わりは人によって異なるなど非常に多岐にわたるものだと記載されています。
少し驚きなのは、大人になっても終わったと感じない人もいるということです。
つまり、学校を終えた年齢になっても終わったと感じることができないということです。
もちろん、この中には、学校を卒業していない人もいるかと思いますので、卒業していないという意味で終わったと感じることができないのかもしれません。
それでは、著書の石井さんの場合はどうでしょうか?
以下、引き続き著書を引用しながら見ていきます。
私自身、大人になってからも、不登校が完全に終わったという感覚はありません。不登校という経験と折り合いをつけて生きれるようになったという感覚なのです。
著書の石井さんは中学2年生の頃から不登校になり、その後は、フリースクールに通われていました。
石井さんは、自身の不登校の経験から、大人になっても不登校が終わったという感じはなく、不登校という経験に折り合いをつけることができるようになったとの記載があります。
石井さんの例も含めて考えると、不登校の終わりは人によって異なり、中には、大人になっても終わっていないと感じる方もいるということです。
そうした中で、不登校といった辛い経験に対して、いかに自分なりに折り合いをつけることができるかどうかが、それぞれの不登校の終わりと言えるのかもしれません。
著書のコメント
不登校の書籍を見ると回復過程についての記載があります。
もちろん、回復への道のりは単調に進むものではなく、その中で紆余曲折もまたあります。
そして、回復したと思えるものは、自分が辛かった経験を振り返ることができ、その経験を糧に前進することができるようになった状態、あるいは、気にならなくなった状態だと著者は考えます。
人は人生の中で様々な困難に出会います。
もちろん、困難の渦中にいる状態は水中から地上に出ようと必死にもがいている状態にあるため、自身の状態を俯瞰して見ることはできません。
一方で、そうした状態から抜け出し、少し時間が立つことで、苦しみの正体が分かったり、苦しみの意味が見えてくることがあります。
つまり、自己の経験を客観視することができるようになり、当時の苦しみがその後の人生のプラスのエネルギーへと繋がっていく可能性があるということです。
著者もこれまでの人生を振り返ると、様々な困難がありました。
そして、困難さは抜け出した後に、当時はあれだけ肯定できなかった状況にありながらも、その困難な状況があったからこそ今があると感じることがあります。
また、困難さをバネに前進していこうと思えた経験もあります。
著者がここで言いたかったことは、不登校になったから人生が不幸であるということではなく、不登校の経験があったからこそ、その貴重な経験から人生を学ぶことができたと思える人も多くいるのではないかということです。
以上、【不登校の終わりとはいつか?】人によって違う不登校の終わりについて考えるについて見てきました。
今回見てきたように不登校の終わりは人それぞれ異なります。
そして、不登校の本当の終わりとは、広義の意味で、自分の気持ちに折り合いをつけることができた状態だと言えるのかもしれません。
私自身、まだまだ未熟ではありますが、今後も不登校への理解を深めていきながら、間接的にも学校現場との関わりのある療育現場での支援の質を高めていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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