モンテッソーリ教育には、〝学びのスパイラル″〝学びの道筋″〝学びの法則″といったものがあります。
これは、子供たちが興味・関心への没頭、そこから様々な事を学習していくプロセスを説明したものです。
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子供たちは、自分の身体を通して(使って)、例えば、文字を〝書く″、ハサミで〝切る″、糊を使って〝貼る″、紙を〝折る″など、興味のある様々な活動を〝繰り返し″行います。
こうした身体動作の繰り返しは、知性の育ちと関連すると言われています。
それでは、〝運動と知性″はどのような関連性を持って発達していくのでしょうか?
そこで、今回は、モンテッソーリから見た〝運動と知性″の関係について、〝繰り返す″行動の意味について考えていきます。
今回参照する資料は「相良敦子・池田政純・池田則子(1990)子どもは動きながら学ぶー環境による教育のポイント-.講談社.」です。
〝運動と知性″の関係について:〝繰り返す″行動の意味とは?
子供と関わったことのある人、あるいは、自分の子供時代を振り返って見たときに、子供が、特定の動作を飽きずに〝繰り返し″行っている様子を見た、あるいは自分自身がしていたことを思い出す人も多いと思います。
その動作もよくよく観察すると、書く、切る、貼る、折る、引っ張る、入れる、抜く、など様々あります。
周囲の大人からすると、よく飽きずに続けていると感じる方もいると思います。
モンテッソーリ教育では、こうした〝繰り返し″の動作には深い意味があるとしています。
以下、著書を引用しながら見ていきます。
子どもが、繰り返し繰り返し同じことをやっている、または、ずうっと続けてなにかをやっている手もとをよく見ると、そこには、ある共通の状況があります。つまり、「繰り返し」の中には、または、持続した活動の中には、ある一定の構造があるのです。
著書の内容から、〝繰り返し″の行動には、ある共通した一定の構造があるとしています。
そして、そのポイントを以下の2点だとしています(以下、著書引用)。
子どもは、でたらめに動くのではなく、その動き方には法則があるということです。
子どもがある一定の動きを何度も何度も繰り返すうちに、それを内面に構造化するということです。
著書の内容から、〝繰り返し″の動作から獲得する構造化のポイントは、1.動き方には法則があるということ、2.繰り返しの動きは内面に構造化される、といった2点を挙げています。
子供たちは、特定の動作を飽きるまで〝繰り返す″ことで、その動作を学習していきます。
それは、自然とできるレベルというものであり、その動き方には規則性・法則性があるということです。
例えば、〝書く″という動き一つとっても動作の発達段階があります。
クレヨンや鉛筆の持ち方から、縦横や丸などを書く動作、そして力加減など、こうした道具を滑らかに自分の思い通りに操作できるようになるまでには、繰り返しの練習が必要になります。
そして、繰り返される動作は一定の法則性を辿りながら内面に取り込まれていくということです。
これは、認知機能の発達とも言えます。
例えば、〝書く″という動作が内面化されることで、頭で自分が書いている状態(動きを)をイメージすることができます。
そして、どの程度〝書く″動作が可能かを書かずとも自己イメージすることができるようになっていきます。
スポーツでも言えますが、例えば、サッカー少年がサッカーボールを繰り返し蹴ることで、次第に頭の中でボールを蹴っているイメージができるようになっていきます。
こうした頭でイメージする力は、経験したものでないと難しいように思います。
このように、〝繰り返される″動作は、ある一定の動きの法則性を基礎として、徐々に自分自身の内面に取り込まれていきます。
このように、〝運動と知性″は関係を持って発達していくことが理解できます。
以上、【モンテッソーリから見た〝運動と知性″の関係】〝繰り返す″行動の意味について考えるについて見てきました。
子供たちが行っている繰り返しの動作には、知性の基盤となる重要な発達の基礎があります。
子供たちは、知性の育ちを自分の身体を使いながら少しずつ、ある一定の動きの法則性のもと発達させていきます。
私自身、この記事を書いていて、改めて、人間の発達には、身体の働きが大切であることを考えさせられました。
そして、まだまだ未熟ではありますが、今後も療育の現場で身体の持つ意味、身体と知性の関係について学びを深めていきます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
相良敦子・池田政純・池田則子(1990)子どもは動きながら学ぶー環境による教育のポイント-.講談社.