著者は療育現場において、発達に躓きのある子どもたちと長年関わってきています。
その中で、発語のない子、または、発語が少し見られるといった子どもたちとも多く関わる経験がありました。
その中で、難しいと感じたのは、発語がないと何を本人が伝えたいのか、どういった思いにいるのかが理解が難しということです。
コミュニケーションとは、お互いの思いや気持ち、考えなどを双方向に的に伝え合うことです。
それでは、このような発語があまり見られない子どもたちとコミュニケーションをとるとは、どのようなことをいうのでしょうか?
今回は、コミュニケーション構造の両義性から、象徴的コミュニケーションと情動的コミュニケーションをキーワードに考えていきたいと思います。
今回、参照する資料は「小林隆児(2000)自閉症の関係障害臨床:母と子のあいだを治療する.ミネルヴァ書房.」です。
最初に象徴的コミュニケーションと情動的コミュニケーションについてお伝えし、次に、両者のコミュニケーション構造の両義性と著者の経験談についてお伝えしていきます。
象徴的コミュニケーションと情動的コミュニケーションとは?
以下、著書を引用します。
コミュニケーションには通常の形態として、情報のやりとりという象徴水準の形態、すなわち象徴的コミュニケーションsymbolic communicationがあります。その一方で、ことばをはじめとする象徴機能を有するなんらかの媒介を用いない水準の、気持ちが通底するという情動水準のコミュニケーション、すなわち情動的コミュニケーションaffective communicationがあります。
著書の内容から、象徴的コミュニケーションとは、文字情報や音声情報などを通した情報のやり取りであり、双方向的な関係を持つということになります。例えば、日常で使用される話し言葉やメールなど文章でのやり取りなどがあります。
一方、情動的コミュニケーションとは、象徴機能以外(文字情報など)を介さない、気持ちや思いなどがお互いに共振するといった、同時的な関係を持つということになります。例えば、Aさんが楽しい気分で話しているとき、その快の感情がBさんにも伝搬(共振)するなどがあります。
現代社会の多くは、象徴的コミュニケーションが多くを占めているようにも思います。例えば、ネットやSNSなどは情報の伝達ですので、言語情報(視覚情報も含め)がメインとなります。
一方、対面でのコミュニケーションは、相手の表情や声のトーンなど、非言語情報によって無意識的に多くの情報を得ています。
このように、コミュニケーションには、象徴的コミュニケーションと情動的コミュニケーションの大きく2種類があるということがわかります。
しかし、こうした2種類のコミュニケーションはどこかで明確に分けることは特に対面でのコミュニケーションにおいては少ないと感じます。
そこで重要になるのがコミュニケーション構造の両義性という考え方です。引き続き説明していきます。
コミュニケーション構造の両義性について
以下、著書を引用します。
ただ、ここで重要なことは、本質的にずれをもたらす構造をもっているコミュニケーションにおいて、そのずれを少なく、ないしはなくすための機能を担っているのが情動水準のコミュニケーションであるということです。ある情動(快/不快、喜/怒、哀/楽など)が一方に生じると他方にもその情動が共振することによって両者はその情動を分かち合うことになります。コミュニケーションの基盤はいつも情動的コミュニケーションが働くことによって、象徴的コミュニケーションは支えられているのです。
著書の内容から、コミュニケーション構造の両義性とは、象徴的コミュニケーションを取っている背景に情動的コミュニケーションもまた入り込んでいる状態ということになります。そして、コミュニケーションを成立させているのは、情動的コミュニケーションが基盤となり、象徴的コミュニケーションを支えるという構造になっているということです。
例えば、Aさんが日常会話で昨日観た映画の話をBさんにしていたとしましょう。Aさんは、映画のストーリーや内容だけではなく、作品への思いも合わせて伝えています。Bさんも映画のストーリーだけではなく、Aさんが生き生きと話す様子などから、楽しさが伝わってくるといった(二者の思いが通底する)気持ちが生じます。
このように、我々の日常会話の例をとっても、象徴的コミュニケーションの下には情動的コミュニケーションが常に支えているといった構造が見えてきます。
もちろん、対面であるか、ズームなどのオンライン上であるか、メールかなどによって、情動的コミュニケーションの情報量には違いが出てきます。
それでは、こうしたコミュニケーション構造の両義性が療育現場でどのように活かされるのかを次から見ていきたいと思います。
著者の経験談
冒頭でも述べました、著者は発語がない子どもや発語が少し見れる子どもとの関わりもこれまで多くありました。
その中で、子ども気持ちや欲求などをどのようにくみ取っていけばよいのか?そして、自分が解釈した子ども思いを他のスタッフにどのような言葉で伝えればよいのか?などを悩むことが多くありました。
その時に、人間のコミュニケーション構造には両義性があり、象徴的コミュニケーションと情動的コミュニケーションがあるという理論に出会いました!
こうした両義性を理解していくことで、例えば、単語などで自分の思いを伝えてくる子どもに対して、声のトーンや表情なども踏まえて(情動的コミュニケーション)、その思いも合わせて解釈するようになりました。
もちろんそれ以前にも、無意識的に子どもたちの言語以外の情報から、思いや気持ちを汲み取っていたとは思います。
しかし、それを言葉にするためには、このようなコミュニケーション構造の両義性を知っておいた方が、他のスタッフに伝達がうまくできることや、子どもたちの気持ちの理解も進んできたという実感があります。
このように、人は何かを解釈するには、うまく言葉にできない情報をどのようにして言葉にしていくのかを考えていく必要があると思います。
以上、コミュニケーション構造の両義性についてお伝えしてきました。
療育現場には、発語のない子から、話すのが得意な子まで様々な子どもたちがおります。
こうした子どものことを深く理解していくために、象徴的コミュニケーションと情動的コミュニケーションの両面から子どもの発信を捉える目を今後も磨いていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
小林隆児(2000)自閉症の関係障害臨床:母と子のあいだを治療する.ミネルヴァ書房.