人口知能の導入などの機械化や、インターネットによって世界が繋がる中で労働環境が今後さらに激変することが予測されています。
以前は、ある程度決まったシステムの中で、決まった労働内容をこなすことで、ある程度の賃金やその後の将来が保障されていたところが大きくありましたが、今後のこのような状態を常だと考えている人は少なくなってきていると感じます。
その流れとして、起業する人、副業する人、新たな技術を身に付けて転職する人など働き方も多様化しています。
そのような中で、格差も年々広がっています。所得の高い人、低い人の格差は増える一方です。所得の高い人は、ある組織に留まることは少なく、自ら起業するなど開拓していくことで収益を上げるなど、自分独自のやり方で道を切り開こうとする傾向があります。
こうして社会が激変する中で、その流れにうまく乗れない人たちも多く存在するのは確かです。
最近、話題に上がることが増えている発達障害の人たちの中には、就労してからつまずいた人も多くおり、例えば、対人関係の問題や、仕事を効率よく処理できない、時間を守れないなど、様々なケースがあります(一例として、「発達障害の仕事について:発達障害の弟から教わったこと」の記事をお読みください)。
発達障害の人の中には、特性の強みを活かして、社会を開拓するほど周囲を巻き込んでいける力をもった人たちもいますが、そうでない人たちが多いのも事実です(発達障害の特性については、「発達特性の理解について」の記事に記載しています)。
少し話が広がりますが、昔の農耕の時代などでは、家族など少数のコミュニティの中に当事者の方がおり、親や兄弟などと一緒に労働をしていたことが考えられるため、そうした中では、相互理解のもと労働をうまく回していたのではないかと考えられます(そうでないケースも当然あったかと思いますが)。
その後、産業革命や情報革命によって、社会が機械化していく中で、労働環境が激変してきたことで、個人の能力が非常に問わるようになってきました。
その能力も決まった仕事をしっかりこなすというものが多くなったため、ここにうまく適応できないと不適応という形になってしまいます。
例えば、周囲にうまく合わせる力、人とうまくコミュニケーションをとる力など、発達障害の中でも自閉症の人が苦手とするところですが、仕事の中で対人スキルが求められる部分が増えたことで、自閉症の特性が目立ってきたことも考えられます。
一方で、注意欠如/多動性障害(ADHD)の人たちには起業家が多いと言われています。こうした人たちは狩猟採集の時代には、いち早く、獲物を捕るなど、その行動力の高さをうまく活かしていたとも考えられています。今の時代だと、新しいことに自ら飛び込む行動力の高さは、特性の中で長所となる部分もあり、これからの時代にさらに求めれる力かと思います。
また、先の例の自閉症だと、一つのことにのめり込む力、自分のペースでたんたんと物事を継続する力もまた仕事によっては強みになります。
こうして社会が激変する中で、発達障害という概念そのものも変化することが考えられます。
こうした仕事や労働といった視点から考えると、発達障害とは社会が作り出した概念だということもまた言えるかと思います。
社会が変化する中で、発達障害のある人たちがその特性をうまく発揮し、仕事で活躍することは素晴らしいことだと思う一方で、そうでない人たちへの理解や支援もまた喫緊の課題かと思います。
これからの時代は成果を生産性という軸以外ではかる尺度が必ず必要になってくるかと思います。
私自身、こうした問いに対して明確な答えは出ていませんが、現場で出会う当事者の人たちの困り感に少しでも寄り添え、前進できるように、今後もより良い発達理解と発達支援を目指していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。