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発達支援の現場で主観性と客観性がもつ意味について考える

投稿日:2020年6月24日 更新日:

発達支援の現場にいると、人の発達についての問いや、そもそも人間とは何か、という問いと向き合う場面が多くあります。

そうした中で、少しでも人を理解したい、より良い支援がしたいという思いを持たれているのが現場で働いている方々だと思います。

そして、人を理解し支援するために、最善の考えや方法があるのかなど考えている方も多いと思います。

理論や知識は発達支援の現場において、非常に重要だと私は感じています。しかし、理論や知識に比重がのりすぎても支援する上での妨げになる場合もあります。

現場は生き物なので、様々なものが(人の心理など)相互に関わりながら動き続けます。こうした動的なものを捉えるために個々人の主観性を大切にしながらも、理論や知識など客観性も把握していくことが大切だと感じます。

そこで、今回は、発達支援の現場において、主観性と客観性がもつ意味について考えていこうと思います。

主観性とは逆の視点として、客観性があります。

私自身、大学で心理学や発達心理学などを中心に学んできました。こうした学問は、人の行動や発達の法則性などを探求する学問であるため、客観的な側面が重視されます。

こうした人間の行動や発達の法則性を理解することは現場においても非常に重要です。難しいのはその中での違い、個々の違いという個別性です。

個別性の中でも、心の動きなど非常に動的に変化するものもあります。

こうした変化する心に向き合うためには、主観性が大切になります。

例えば、A君がB君を遊びに誘いごっこ遊びを始めました。しかし、途中で、A君の言っていることが難しく、B君には理解できずに遊びがかみ合わないという状況が起こります。その結果、お互いが困るという状況になり、大人が調整に入り、その後は、楽しく遊べたという場面があるとします。現場でよく見られる光景です。

この場合、最初に遊びがかみ合わない、子どもたちの不穏な(?)空気を感じるのは、主観です。何となく、子どもがイライラしている、楽しかった声のトーンが下がるなどです。

こうした変化は、現場にいるといち早く気づくものです。こうした主観性をもって、我々はいち早く子どもたちの心理状態に気がつくことができるのだと思います。

次に、この場合の客観性とは、A君とB君のそれぞれの遊びの発達段階などが考えられます。

例えば、A君は、道具を使って様々なものに見立てたり、ルールの理解ができたとします。一方、B君はまだそういったことは難しい遊びの発達段階とします。すると、当然、A君とB君の遊びがかみ合わなくなることが発達段階から予測されます。遊びの発達段階もさらに詳細に見ると、言葉や知的な発達段階など様々な機能が関連してきます。

客観性の場合は、事後的な分析なども必要とされるため、主観的な気づきよりもゆっくりとした理解のペースかもしれません。しかし、じっくり子どもたちの発達について考えることは、その後の支援の参考になることが多くあります。

こうして見てみると、我々は主観性から人を理解する面と、客観性から人を理解するという面の両方をもっているのだと思います。ただ、客観性に関しては、知識も非常に重視されるところがあるかと思います。

最後に、主観性を客観性に近づける方法についてお伝えしていこうと思います。

そのキーワードは「共同主観性」にあります。

つまり、ある人が感じた主観的体験や考えを、別の人も納得して感じることができたかということです(お互いの主観に納得感があるなど)。

先のA君とB君の例で考えてみましょう。

A君とB君の遊びがかみ合わないというケースですが、別の人が見たときに、もしかすると、遊びのかみ合わなさというより、A君のある言動が気になった、B君は実はA君とは遊びたくなかったなど、他の要因も考えられます。

こうした状況判断はそこに居合わせた人が直感的に判断したという場合が多くあります。

こうした状況からの直感的な判断には不確かさがありますが、なぜそう考えたのかを他者に伝えていくことで、別の人からの判断を得ることができます(他者視点)。

こうした視点を複数増やしていくことで、主観的(直感的)な判断がより客観的になるということが、「共同主観性」の持つ意味合いであり、主観性を客観性に近づけていくためには重要になります。

我々は、人を理解しようとしたときに、固定観念など様々なバイアスが入ります。発達支援の現場においても同じことが言えます。少しでも、相手の理解に近づくためにも、主観性と客観性の両側面を大切に、それぞれのもつ意味合いを考えていくことが大切だと思います。

私自身、主観性と客観性、それぞれの視点について今後もさらに理解を深めていこうと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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