ADHD(注意欠如多動性障害)は、多動性・衝動性・不注意を主な特徴としています。
著者は、学生時代にADHDという言葉を初めて知りました。今から15年程度前になるかと思います。
当時は、ADHDと言えば、子どもに特徴的な障害であり、大人になると軽減するというイメージがありました。
しかし、現在は、大人のADHDが非常に注目されるようになり、メディアなどで取り上げられたり、著名人の中にもADHDだといういう方も多くおります。
15年ほど前の状況からすると考えられない事態です!
それでは、なぜADHDは軽視されてきたのでしょうか?
今回は、ADHDがなぜ軽視されてきたのかについて、著者の療育経験(ADHDへの認識の変化)も踏まえてお伝えします。
今回、参照する資料は、「岩波明(2017)発達障害.文春新書.」です。
それでは、次にADHDが軽視されてきた2つの理由をお伝えします。
理由1:ADHDの病因に関する誤解
以下、著書を引用します。
20世紀初頭より、ADHDは軽度の脳損傷の結果生じる「シンプルな」疾患であると見なされてきた。このため、原因は明らかで、「単純」な「面白みのない」ものであると考えられ、時間をかけて研究を進める対象とは扱われなかった。
著書の内容から、当時のADHDの理解は単純でわかりやすい疾患であるとの認識から(病因に関する誤解)、研究対象になりにくかったようです。そうした理由から、研究が進まず、社会的な理解も進まなかったということになります。
一方で当時は、自閉症に関しては多くの注目を集めており、研究も進み社会的認知も広まっている状況でした。
著者も、最初に発達障害という言葉を知ったのも、自閉症からでした。その頃は、自閉症当事者の手記や自閉症関連の書籍も多く出版されていました。
このように、研究が進むことで社会への認知も高まるという背景があり、ADHDは行動上のわかりやすい特徴(当時はそう思われていた)などから、なかなか研究対象には上がらなかったという背景があるようです。
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理由2:ADHDは大人になれば改善するという誤解
以下、著書を引用します。
かつてADHDは子供の病気と見なされてきたという歴史がある。小児期のADHDについては、成人すれば症状の大部分は改善するものと考えられてきたため、成人の患者についてなかなか目が向けられなかった。
著書の内容から、当時は、ADHDは子供に多く見られる行動特徴であると考えられており、大人になるとその多くは改善すると考えられていたこともあり、注目度が低かったようです。
冒頭でお話しましたが、著者も当時のADHDの理解は子供特有の障害というイメージが強く、大人になると良くなる、あるいは軽減するものだと思っていました。
しかし、成人してもADHDの特徴を有する人が非常に多いことから、年々注目度が高まっているようです。
著者の周囲にも成人のADHDの方(あるいはその疑いのある方)がおります。彼らの話では、ADHDの特性そのものはなくなるのではなく、特性との付き合い方を本人なりに学んだり、その特性を仕事などに発揮されている方、また、特性があることで悩んでいる方まで様々です。
少なくとも、ADHDの特性そのものはなくなるものではないということ、特性からの困り感を抱え続けている人の多さから社会の認識が広がったようです。
それでは次に、著者の療育経験を通して、ADHDへの認識がどう変化したのかについて簡単にお伝えします。
著書の経験談
著者は学生時代(今から15年ほど前)から、様々なボランティア活動や学内活動を行ってきました。
その中には、ADHDといった診断を受けたお子さんもいました。
そのお子さんは、とにかくエネルギー全開で活動するという感じで、夕方頃になると疲れ切ってしまうほど、エネルギーのコントロールが難しいお子さんでした。
当時の私は、このお子さんを見て、ADHDとは、このような多動性や衝動性の特徴がはっきりと行動面から伝わってくるものだと思い、とてもわかりやすい特性だと考えていました。
また、当時は、自閉症の社会的認知が急速に広がっていたこともあり、ADHDについてはそれほど取り上げられることは少ないという印象がありました。
つまり、自閉症など他の発達障害が主流の中、ADHDは比較的わかりやすいタイプであると考えていました。さらに、大人になるにつれて改善されるものだとさえ思っていました。
しかし、その後、多くの療育現場での経験を通して、おとなしいが忘れものが多いなど不注意優位のADHDのお子さんや、成人のADHDの方などを見て、非常にわかりやすい行動面にだけ目を奪われていたことに気づかされました。
成人の方の場合には、個々に応じて特性への付き合い方なども身に着けている場合もあり、状態像も多様です。また、特性を強みに変えている方もおります。
こうした経験から、当時、それほど着目されていなかったADHDへの理解がさらに深まったように思います。
そして今では、ADHDは私が当初抱いていた理解しやすい特性という認識は完全になくなりました。
ADHDもそうですが、ASDやLDなど、様々な発達特性の理解には時間がかかるかと思います。
理解を深めるためには、多くの臨床経験とその中で学び続ける姿勢が重要かと思います。
私自身、まだまだ未熟ではありますが、今後も発達特性への理解を深めていきながら、療育現場でより良い支援ができるように頑張っていきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
岩波明(2017)発達障害.文春新書.